2016年7月11日月曜日

神学生のあかし その2

神学校週間のあかしはこれで3回目になります。いつもお祈り本当にありがとうございます。仕事と勉強の二足のわらじという点でも、経済の点でも、多くの方の祈りと支えによって続けられていることを実感しています。
さて、私が神さまから与えられている賜物でとても感謝していることがあります。それは、「忘れっぽい」ということです。
勉強や仕事の上で忘れっぽいことは本当に困ることですが、最近この「忘却の賜物」のすばらしさに目覚め始めています。「私最近忘れっぽくてもう年だわ」と思っておられるご年配の方々にも朗報かもしれません。
忘れることはいいことも忘れてしまうかもしれませんが、当然嫌なことも忘れます。いつまでも相手からされた嫌なことを悶々と抱えていないでいられる賜物です。私は特別養護老人ホームの生活相談員をしていますので毎日認知症の方と接していますが、「ばかやろー、うるさい」と怒鳴った相手と数分後には手を取り合って歌を歌ったりしているのです。なんとすばらしい和解、これは忘却の賜物があればこそです。
しかし、このように能天気になれたのはまさしく神さまが私を造り変えてくださったからであり、思い返せば私には赦せない人がたくさんおりました。クリスチャンになって、赦さなければならない一人ひとりのことを「赦せるように」祈り続けた結果、多くの人を神さまの恵みによって赦すことができるようになりました。その一人が父です。
父は感情の起伏が激しい人で、また子ども、とりわけ長女に対する私への期待や理想が強くありました。別にクラスで一番になれとかそういうことではありませんが、人並みな大人にしようと必死になっているところがありました。
私は学校で集団生活に溶け込むことがなかなかできず、落ち着きがなかったり授業で上の空だったりすることが多くありました。父はそんな私にとても気をもんでいたのでしょう。よく私を殴りました。とりわけ、学校で宿題や必要なものを忘れたりした時には顕著で、必ず殴られました。なので忘れ物をしたことを隠しましたが、忘れ物をした場合先生から記入をさせられる「忘れ物カード」なるものがあったため、それを定期的に見せるように命じられ、必ず隠したことはばれてしまい、三倍殴られる羽目に陥りました。ある時、耳の鼓膜が破れてしまったことがあり、その時母はもう離婚だと職場にまで触れまわって大騒ぎしましたが、結局離婚には至りませんでした。
今思うと、この異常な物忘れはストレスから来ていたのだろうと思います。大学3年の時や社会人になってから私はうつ病を患いましたが、その時も最初の症状として現れたのは記憶が飛ぶことだったからです。しかし、父は学校でいじめられている苦しさも、忘れたくて忘れているわけではないのに努力してもできない悲しさも、わかってはくれませんでした。
思春期を迎えると父とは顔も合わせたくないほど嫌悪感でいっぱいでした。母とも年がら年中怒鳴りあったり物を投げつけあったりしていたため、早く離婚してほしいとしか思っていませんでした。
大学3年の時、両親が離婚しました。やっと平和な家庭になれるとほっとしました。しかし、物理的には一緒に暮らすことはなくなりましたが、私の心は決して平安ではなく父から自由になったわけではないと思わざるをえませんでした。私の心は幼い時からの父への怒りでいっぱいで、それにとらわれたままでした。私は父を赦すことができるように祈りました。祈って静まってもまた湧いてくる怒りにあきらめそうになりながらも。
祈りは突然聞かれました。大学4年のある日父の家に足を運んだ時のことでした。父は酔っぱらってろれつが回っていませんでした。父は私が子どもの頃の話を始め、突然さめざめと泣きながらこう言ったのです。
「あの頃、お前にはひどいことをした。本当に申し訳なかったと思っている。ごめんよ。ごめんよ」
 今までのわだかまり、悲しみ、怒りがすーっと溶けていくような気がしました。そして、自分の中に父を責める心が全く消えていることに気がついたのです。私は「もう怒ってないから。もういいよ」と言いました。父はおんおん泣きながら、私を抱きしめてくれたのです。お酒臭くて少し嫌でしたけれども。
 離婚して大切なものを失い、父は心から今までの過ちを悔いたのでしょう。一人ぼっちになって初めて、自分が家族から与えられているものを悟ったのかもしれません。
大学3年の時に、私の家族はひとつの終りを迎えました。母には新しい恋人ができ、父は相変わらず一人です。弟も独立し、みんなそれぞれの道を歩み始めました。しかし、私たちは今までとは違った家族としての関係をつくり始めています。私は父と和解しました。母も歳月と新しい彼に心をいやされたのか、数年前から父と会うことを嫌がらなくなり、家族四人で会うようになりました。先日の母の日には母の家に四人で集まり食事をしました。
神さまは私たちに新しい平和をくださいました。幼い頃からずっと切望し続けてきた平和です。神は祈りを聞いてくださいました。
そして幼い頃苦しんできた忘却を賜物として磨いてくださった神は、以前よりももっと人を赦すことができるように私をつくりかえてくださいました。
物忘れが多くなったと悩んでおられる兄弟姉妹の皆様、この忘却の賜物をともに喜びましょう。そして、忘れることによって赦すことのできる幸いを感謝したいと思います。

大野 夏希

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